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10月25日(土)から静岡県で開催される第58回国民体育大会秋季大会に、向上高校(清水秀樹校長)から7名が出場する。同校にとって国体に出場する人数としては過去最多人数となる。
国民体育大会は、財団法人日本体育協会、国、および開催地の都道府県が共同して開催される大会で、今回で58回目を迎える。
向上高校から出場するのは、自転車競技に高見澤文孝さん(3年)、桐原洋平さん(3年)の2名、女子ソフトボールに杉山真里奈さん(3年)、ラグビーに小木曽良さん(2年)、レスリングに野口智行さん(3年)、井上明彦さん(3年)、安澤薫さん(2年)の3名だ。安澤さんと杉山さんは前回に続いて2回目の出場となる。
高見澤さんと桐原さんは7月に行われた県民大会でそれぞれ優勝、準優勝という成績が評価された。杉山さんはすでに県選抜チームとしてキャッチャーで4番としての活躍が評価された。小木曽さんも県選抜チームの一員としての活躍が評価された。野口さんと井上さんは、国体選考会で優勝しての代表入り。安澤君は、同選考会中は日本ジュニア代表として韓国に遠征していたため出場していないが、全国グレコローマンスタイル選手権大会で準優勝するなど過去の成績ですでに選考されていた。
中でもレスリングに同校から出場するのは今回で連続19回目。また、平成3年、6年、10年の大会では優勝を果たしている。レスリング部は県内に12校あり、今回出場する9名のうちの3名が向上高校の選手だ。常にインターハイなど全国レベルの大会に出場しており、数々の栄誉を手にしている。
レスリングに出場する野口さんは「皆それぞれ競技は違いますが、目標はあくまでも優勝を目指します」と意気込みを語った。
今大会には、向上高校の生徒のほかに伊勢原市在住者で、バレーボール、レスリング、ソフトテニス、馬術、弓道、陸上の6種目に7名の選手が出場する。
清水秀樹さん〔統一日報 2003年10月10日〕
アジア中心の次代を確信 正しい認識もたせたい
30回超えた韓国修学旅行 韓国政府から「産業褒章」
先月、韓国政府から外国人としては大変希である「産業褒章」を受賞した向上高等学校の清水秀樹校長。
長年にわたり、韓国修学旅行を実施し韓日青少年友好交流に尽力してきたとし、受賞された。
同校の「心の教育」の一環として実施されている「韓国・心の旅」は、1973年、223人の生徒と9人の引率教師が日本海を渡ってから今年で30年を迎えた。当時日本の修学旅行は、京都などに集団列車で実施していた時代で、戦後の修復に追われていた韓日関係から今の時代とは比較にならないほど厳しいものがあった。
同校は、もともと沖縄に修学旅行を実施していたが、「これからの時代は世界が舞台となる。なかでもアジア中心の時代が必ず到来する」と確信。当時「近くて遠い国」と言われていた「韓国」へ踏み出したのだった。
また、古代から現代にかけて日本との歴史的繋がりが深いにもかかわらず、韓国との関係について正しく理解されないままであり、次代を担う高校生に正しい認識をもたせる必要があると考えてからだ。
現在までに生徒1万1005人、教員420人、保護者15人が訪韓した。また、清水校長、本人の訪韓回数を聞くと、50回は軽く超えるという。
「語り尽くせない思い出が脳裏に浮びます」。1979年、修学旅行の最終日に「朴大統領暗殺事件」が起こり、韓国から飛行機が飛ばなくなって、急きょ日本にチャーター便を要請し夜中に帰国したこともあった。そのほか、1988年にはソウルオリンピックを観戦など歴史的事件やイベントに出会った。
予約したホテルが倒産し、探しに探して300人余りの生徒を6カ所のホテルに分散して宿泊させたことがあった。この時、清水校長がベッドに入ったのは午前3時を過ぎていた。これでも清水校長が韓国・修学旅行を続けられたのは、生徒の目を世界に向かせようとする「心の教育」を実践しているからだ。
4000人の結晶〔朝日新聞 2003年7月13日〕
第85回の大会を記念して、開会式の前に、大きな「85」の人文字がグラウンドに描かれた。参加校の登録選手や入場行進でプラカードを持つ向上高校の女生徒たち約4千人が参加した。
午前11時すぎ、洗い立てのユニホームを着た選手たちが、グラウンドに飛び出した。ベンチ入りを果たせなかった3年生部員の姿もある。
ベンチ入りする登録選手から外れた桐蔭学園高の政岡直樹君(18)は、厳しい練習をこなした仲間と一緒に芝生の感触を確かめた。「いい記念になった。残念だが、チームを支えたい」と話した。
きょう開幕 本番直前、入念に練習〔朝日新聞 2003年7月12日〕
第85回全国高校野球選手権記念神奈川大会(県高野連、朝日新聞社主催)の開幕を翌日に控えた11日、横浜市中区の横浜スタジアムで開会式のリハーサルがあった。快晴の下、出場する198校のプラカードを持つ向上高校の女子生徒ら約250人が約2時間、行進などの練習を繰り返した。
リハーサルは午前9時に始まった。強い日差しを浴びながら、女子生徒らはプラカードの持ち方や手の振り方などを念入りに確認した。
横浜高校を担当する麻生靖子さん(17)の額には汗が光っていた。「名前が浮かぶのは松坂(大輔、現西武)さんくらい。でも、手伝えるのは光栄です」と話した。
一塁ベンチ前では行進にあわせて、司会を務める立花学園高校の野球部マネジャー伊東瑞恵さん(17)がマイクに向かった。「昨年の開会式のビデオを見て練習してきたけど、実際にやってみると、自分の声が遅れて聞こえるので難しい」と緊張した様子だった。
本塁付近では、選手宣誓する五領ケ台高校の菅沼元気主将(18)がマイクに向かった。チーム仲間と相談して決めたという言葉を書いた紙はポケットの中だ。「毎日、寝る前に繰り返し口ずさんで暗記しました」
また、生徒らは開会式前にグラウンドに「85」という大きな数字を人文字で描くため、立ち位置などを確かめた。第85回にちなむ記念行事の準備も整った。
観客席は正午に開場。開会式が午後1時、開幕試合の川崎北−荏田が午後3時に開始予定。大雨の場合、開会式の入場行進はない。
夏の高校野球県大会 今日開幕〔東京新聞オンライン版 2003年7月12日〕
第八十五回全国高校野球選手権神奈川大会が十二日午後一時から、横浜スタジアムで開幕する。これに先立ち十一日、開会式の入場行進でプラカードを持ち選手を先導する向上高の女子生徒らによるリハーサルが同球場で行われた。生徒らはプラカードの見やすい高さなどを再確認していた。
(2003年7月12日)
■高校新聞コンクール、入賞校決まる〔朝日新聞オンライン版〕
第32回全国高校新聞コンクール(大東文化大学主催、文部科学省、朝日新聞社後援)の結果が1月に発表された。応募は199紙。最高賞の文部科学大臣奨励賞には、神奈川県伊勢原市の私立向上高校の「こゆるぎ」が選ばれた。表彰式は3月11日、東京・築地の浜離宮朝日小ホールで行われた。
入賞校を代表して向上高校新聞委員会の田中匡樹さんが「部員が40人、というと恵まれているように聞こえるが、意見の違いによるトラブルは絶えない。だが結局は皆が力を合わせないと、いいものは出来ない」とあいさつ。「たくさんの仲間たちの存在の大切さを感じた。収穫は取材先でいろいろな人に出会えたこと。学校と社会を結び付けられたと思う」と取材・編集の楽しさと難しさを語った。次回の高校新聞コンクールは、2003年秋に募集を開始する予定。
そのほかの上位入賞校は、次の通り。
朝日新聞社賞=旭川西(北海道)「旭川西新聞」▽大東文化大学学長賞=越谷北(埼玉)「越谷北高新聞」▽全国高等学校新聞教育研究会賞=千歳(北海道)「千高新聞」▽優秀賞=帯広柏葉、名寄、苫小牧東(以上北海道)、安積(福島)、川越(埼玉)、生田東、大船(以上神奈川)、富岳館、富士(以上静岡)、金沢二水(石川)、彦根東(滋賀)、明石城西、鈴蘭台(以上兵庫)、由良育英(鳥取)、高松北(香川)、修猷館(福岡)▽特別賞=尾道工(広島)
向上高校が文科大臣奨励賞受賞
全国高校新聞コンクールで10年連続の入賞〔タウンニュース伊勢原 2003年3月21日号〕
向上高校の新聞委員会(岐部佳織委員長)制作の『こゆるぎ』第86号(2002年10月18日号)が今年度の第33回全国高校新聞コンクール(大東文化大主催)で、栄えある文部科学大臣奨励賞を受賞した。
このコンクールには全国から199紙がエントリー。同賞は最も優秀な紙面に贈られるもの。10年連続入賞の快挙を遂げている同校では、5年ぶり2回目の受賞となる。受賞作は、今年卒業した3年生19人を中心に、当時の新聞委員会全員が一丸となって作り上げたもの。「伊勢原でBSE感染牛広がるその波紋」などのタイムリーな記事から「幼児虐待の現状」「開成町からサギが消えた」といった深刻なテーマを扱う特集まで、内容は多岐にわたる。
制作は一人一人が企画書を提出するところから始まり、何度も話し合いを重ねて煮詰めていく。サギがいなくなった開成町で地元住民の取材にあたった1年生の生徒は「1件1件まわって話を聞いたので、結構大変でした」と話す。委員長の岐部さんは「幼児虐待の取材では、生々しい話を聞くことができた」と強く印象に残った様子だが「色々なところに行けるのが楽しいです」と笑顔を見せた。
3年生が卒業したため、現在委員数は27名。放課後には真剣な顔で新聞制作に取り組む姿が見える。カラー刷りの『こゆるぎ』と、校内のニュースをテーマごとに取り上げる『TOPICS』の2本立てはスケジュール的には少々ハード。それでも「読んでくれているのを見ると、とても嬉しい」と委員のメンバー。顧問の山田貴久先生は「楽しそうにやっています。チームワークがいいですね」と話す。新聞委員会は、今後もさらなる活躍が期待できそうだ。
「眠れない日もあった」〔タウンニュース伊勢原板 2002年11月22日号〕
○…年間8回発行している学校新聞『こゆるぎ』。その第86号が、11月11日に行われた『第52回神奈川県中学校・高等学校新聞コンクール』高校の部で最優秀賞を受賞した。受賞作品はカラー2ページを含む全18ページ。内容は学校行事ばかりでなく、BSE問題の記事なども掲載、“男子ロッカーを考えよう”や“ダイエットを考える”などの特集も盛り込まれている。「作りたいものが作れました。みんなで作ったものが評価されたのがうれしい」と自然と笑顔になる。
○…今回の新聞には、3年生最後ということもあり、メンバーがあたためてきた企画を詰め込んだ。本人も三宅島の企画を提案したが、班長会議でまさかのダメ出し。寄生虫館を担当することに。不本意ながらも取材を始めると、「3年間で一番楽しい取材になりました」と細い目をさらに細めて楽しそうに話す。もともと企画を考えるのが好きで、取材は不得手。自他ともに認める話し下手がその原因のようだ。それでも取材に同席した顧問の山田先生に、反論する場面も。自分の意見ははっきり言う。
○…中学校では柔道部に所属。高校では「いろいろやってみたかったから」と新聞委員会を見学に立ち寄ったところ、先輩に勧誘され入会を決めた。実は文章を書くことが苦手だったのだとか。委員長への抜擢も先輩からの指名。“長”を務めるのははじめて。就任後は、委員46人の意見をまとめるのに苦労が絶えなかった。眠れない日もあったほど。「同学年の女子に優秀な人が多くて…」と肩をすぼめる。
○…「新聞作りを通して情報の大切さを知りました」と、将来の夢はコンピューターを利用して情報を提供していくこと。今は推薦入試の結果待ち中。合格したら、その後の時間はコンピューターの勉強に使う。出掛けるときは常に本を持ち歩く。通学電車の中は趣味の読書を楽しむ時間だ。両親と弟と4人家族。
今だからこそ日韓交流 [神奈川新聞オンライン版 2001年7月26日]
◆教科書問題の余波さまざま
「教科書問題」が騒がれる今こそ、若い世代の交流を−。韓国・京畿道の盆唐大真(ブンダンダイシン)高校の二年生約八十人が来日、私立向上高校(伊勢原市見附島、清水秀樹校長)の生徒と友情を深めている。文化の違いを越え、一緒に東京訪問するなど相互理解に努めており、今秋には向上高生が韓国を訪問する予定。交流の行方が注目された湯河原町には、姉妹都市の忠州市から町長を招待したいとの連絡が入った。しかし、教科書問題の余波は草の根交流にも波紋を広げており、「反日感情が不安」などとして、韓国ツアーを中止する動きも出ている。
裏をかきすぎた 〔朝日新聞 1995年1月1日日曜日〕
激戦区神奈川から初出場の向上は南宇和にPK戦で敗れた。
立ち上がりから独創的な中央突破で相手DF陣を翻弄し、2点を先行。それが後半追加点を奪えないうちにペースが変わり、追いつかれた。「3点目も取れましたね。裏をかきすぎた」と、2点目を奪ったFW鈴木。それでも「自分たちのサッカーができた。神奈川の頂点に立てただけでも誇りを持てる」と笑顔で話した。
粘る向上突き放す
桐蔭学園14回に5点〔朝日新聞 1984年7月31日火曜日〕
(桐蔭学園は13年ぶり2回目)
桐蔭学園が延長戦の末、向上を突き放した。十四回岩崎四球。瀬尾のバントが安打となり一、二塁。一死後大久保が四球で満塁。ここで高須、関川が速球を狙い打って2点。さらに志村亮のスクイズ、青木の左前適時打などで計5点を加え試合を決めた。
向上は打のチームらしく粘った。七回には高橋の本塁打で同点に追いついた。十四回にも3安打を集め2点を返し、桐蔭学園をおびやかした。八,九回にバント失敗で併殺を喫するなど、バントの巧拙が勝敗の分かれ目となった。
今度は監督で甲子園
桐蔭学園が十三年ぶり二度目の出場を決めた。現在の同チームを率いる土屋監督は初出場で初優勝を飾った当時の捕手。選手には兄貴分的存在で、今でも志村亮投手の投球を受け注意を与えている。この日、試合前も投球を受けた土屋監督は今までにない激戦の連続だった今大会。前日の綾瀬戦の苦しい戦いに「オレの時も準決勝でやっと逆転した。よく似てるよ。」と暗示をかけるなど、これまで豊富な経験を随所に生かした。選手から今度は監督として甲子園出場に「全国一の激戦区の神奈川の代表ですから、仲間の分まで暴れたい」ときっぱり。
野球部員が集団で盗み 伊勢原の向上高校 〔朝日新聞夕刊 1981年6月1日〕
神奈川県伊勢原市沼目の私立向上高校(宮崎道忠校長)で5月、野球部員十二人が事業部室からネクタイ、運動着などを盗み、家に持ち帰ったり、友人にやっていたことだ一日明るみに出た。同校では同日、県高野連に事件を報告最終的な方針を決めるが、対外試合辞退の公算が大きい。
学校側の話によると事件があったのは五月二十日ごろ。練習後の夕方、二年生の野球部員十一人と三年生一人の計十二人が野球部室と廊下を隔てて向かい側にある事業部室から販売用のネクタイ、ネクタイピン、くつ、運動着など約三十点を盗んだ。生徒はこれらをそれぞれ、自宅に持ち帰るか友達にやっていた。事業部室には外部の業者が入り、火、金曜の生徒の学用品などを売っているが、二十日は閉まっており、生徒の話ではカギもかかっていなかった。という。同校では、同月二十二日に事業部から学校側に報告があり、よく二十三日に野球部員に問いただしてわかった。
同校では盗んだ品物を回収するとともに、取りあえず事件を起こした生徒を自宅待機処分とした。また一日、県高野連に報告、最終的な方針を決めるが、宮崎校長は「こちらから対外試合辞退もありうる。」といっている。